社長コラム
■2010/11/02
ひとり気ままにティータイム
『地震・雷・火事・親父』
あの頃の親父たちは『頑固者』が多かった。
作家・向田邦子は著書『父の詫び状』で
母を怒鳴って殴る父親を
絶対に許せないと子供心に思ったと書いている。
そんな父親が祖母のお通夜に焼香に見えた
自分が勤める会社の社長に
畳に額を擦り付けんばかりの卑屈な姿を見たら情けなくなった。
しかし、保険会社の課長として学歴もコネもない中で会社で闘っている事を知り、
父を許す気持ちになったと書いてある。
後に向田自身が母親に海外旅行をプレゼントし羽田空港で母を見送る時、もし今から母が乗る飛行機が墜落するなら帰りの便でと念じたという。
昭和56年8月22日。自身が乗った飛行機が台湾上空にて爆発・墜落。
その瞬間。向田自身が何を思ったかは私でも想像がつく。
2008/11/8
『拝啓 晩秋にふさわしい夜霧です。静岡での生活には慣れましたか・・・。』
私が二十歳の頃姉からもらった手紙。
封筒は今となってはセピア色に。時の流れを感じる。
長女の姉と三男の私は歳が九つ違う。
子供の頃には私をおぶりながら子守をしたらしい。
そんな訳で私は姉に頭が上がらなかった。
気丈な性格で結婚を父に反対された時には怒鳴られても何を言われても最後は説得してしまった。兄弟の中で一番光輝いた人生を送り
好き勝手に生きて、またそれが出来た人だった。
そんな姉も病に倒れ。今では記憶もあいまいで何かをいつも見つめている。
私の事ももう解らない。
かつて父と渡り合ったあの姉が
一瞬笑った時に『面影』が蘇る。
世の常とは知りつつも現実とは残酷で無情だ・・・。
今夜は白く凍ったような月が出ている。
2008/12/13
28年も時間が経つと人間も環境も大きく変わるものだ。
先日。小学校時代の還暦同窓会があった。
120人いた同窓生のうち10人が亡くなり
3人の恩師も鬼籍に入ってしまった。
32歳の時の同窓会は皆元気だった。
横浜に住んでいるクラスのマドンナは魅力的で
2次会・3次会と進み。解散・帰宅となった時。
一人がマドンナを車で送っていくと言い出したら
昔の恋い敵が『お前は酒癖が悪いから俺が送っていく』
言われた方は『おまえは女癖が悪い』と。
結局二人で東京まで往復した。
そんな愉快だった二人も昨年片方が病死した。
もう一人は奥さんと別居中で。
昔ほどの勢いは今はもうない。
次回は温泉郷で一泊で開催予定です。と幹事。
今回は45人。次は何人生きているだろうか?
マドンナは一人『直通バス』に乗り込んでいた・・・
2009/1/24
私も毒舌漫談家『綾小路きみまろ』のファンだ。
あの髪の毛はネタにもなっているが『かつら』だそうだ。
今はそれを笑う私も30代中盤には真剣に悩んだ。
洗髪すると髪の毛が排水溝に黒く溜まるほど抜ける。
洗うときはそっとそっと指で押し付けるようにした。
それでも日を追うごとに薄くなっていくので
意を決して『アデランス』を注文した。
約一ヶ月後。完成したと言うので装着してみると
かみさんと小二の息子は俯きながら『似合うよ』と。
だが四歳の娘だけは『おかしいよ!それ!』と
ゲラゲラ笑ってるのを見て装着の意思を失くした。
とうとう『かつら』は装着することなく押入れ行き・・・。
それからは髪の毛など全て抜けてしまえとばかりに
開き直ってガリガリと爪先で洗髪したりした。
すると不思議と毛は抜けず逆に増えてきたりした。
二十八になった娘が『きみまろみたいに被ったら?』
と今更・・・今は髪の毛より血圧が心配だ。
それにしてもあの時は・・・・・・魔が差した・・・。
2009/2/28
本木雅弘主演の映画「おくりびと」を鑑賞してきた。
父親の握っていた小石。
あの場面にはとても感動した。
私も父親とは確執があったので場面が重なった。
映画の中では参列者への返礼品の
受け渡し等はなかったが茶業界で
葬儀に関与している店は少なくない。
最近こんなことがあった。ある葬儀屋さんから
「返礼品」のことで相談があった。
話を聞くと「返礼品の納入業者」を変えたいとの事。
条件は「4掛け(売値の4割)」当日は「二人の派遣」。
つまり売値が2千円であれば8百円で納入する。
とんでもないと断ったら、じゃあ6掛けでどうか?と
なったが最終的にはやはり丁寧にお断りした。
それにしても葬儀の世界でお茶屋の立場は弱い。
宮崎県知事のフレーズを借りれば
「どげんかせんといかん」
消費者に還元できる方法を必死に模索中だ。
2009/7/25
「小貝川 侘びしくにじむ 街路灯
水面に映る 守谷の夜景」
短歌の作者の方がお店に来てくれた。
私が、この場所はどの辺ですか?と聞いた。
教えてもらってその場所に行ってみようと思った。
意外な言葉がかえってきた。
「そんな場所はありません」
創作ですか?
「違います。現実です」
私は言葉が続かなくて沈黙した。
すると、しばらくして鷹揚に語り出した。
以前の谷和原村は良かった。リーダーが判断を誤った。
守谷市の指導者と比較した短歌です、あれは。
最後にお茶をうまそうに飲んでお帰りになった。
毅然とした礼儀正しいお客様だった。
成る程世の中をあんな風に生きている人もいるんだ。
世間は広い・・・。
目からウロコの一瞬でした。
2009/8/29
この世は運の良い人悪い人がいる。
私の場合は若い時大けがをした
見ていた人は死んだと思ったらしい
あの時すべての運を使い切ってしまった。
先日、何を思い立ったか、急に
家のまわりの樹木の消毒をした
椿には毛虫がゴッソリ、もみじには
トゲトゲした緑色の痛い虫。
「一寸の虫にも五分の魂か」などと
ブツブツ言いながら薬を噴霧した。
私が今日気が向かなければ、毛虫も
全滅しなかっただろうに、運が悪いのか。
こうしてみると人間の運なんて
私の「消毒」を台風とか地震
あるいは株の暴落に変えれば
何となく解るような気がする。
商人には七人も神様がいるのだから
一人くらいフラっとお茶でも飲みによって欲しいものだ。
2009/9/26
近くにコンビニがオープンした。
約2キロ四方に8軒のコンビニがある。
交差点とか住宅地の中とか国道沿いにもある
なぜか、どこにでもあるコンビニを見ると
私は子供の頃の魚とりを思い出す。
2リットルのペットボトルの約15倍の大きさの「瓶でーず」
米糖をフライパンで焼いてジャガイモを薄く切って
混ぜる、あの糖の匂いは独特だ。
それを瓶の中に入れて沈める。底にしゃくり穴があり
魚は一度入ると出られない。
水草の近くや流れの悪い所、川の真ん中に仕掛ける。
ガキ大将がいてあまり近くに並ばないように
細かく指示される。
5、6人いても皆バケツ一杯になった。
まさしくコンビニが「瓶でーず」で我々人間が小魚だ。
今思い出しても、いい場所でいい糖を
使っていると、魚はたくさん捕れた。
あのコンビニはどうだろう。
2009年10月24日
今年は寅年。私の父もこの寅年に産れた。
「五黄の寅」千里行って千里帰ると
当時この年生まれの男達は一目置かれたそうだ。
太平洋戦争の激流地フィリピン・レイテ島。
三万五千人の兵隊の中で無事に帰還出来たのは約二百人。
その中で「寅年生まれ」の兵隊が圧倒的に多かった、と
子供の頃よく聞かされたのを今でも覚えている。
父の気性はとても激しかった。
六人兄妹の男三人は「げんこつ」の代わりに
巾の広い「革のベルト」でよく叩かれた。
今であればきっと幼児虐待で大変な事になっていただろう。
そんな父も晩年は病に倒れ、かつての「虎」も
まるで「猫」のようだった。
私自身もこの歳になってやっと「親の気持ち」が分かり始めた。
そしてつくづく思うことがある。
色々な出来事やそれと同じ数だけ気持ちがあったけど
知らず知らずに「親父の背中」を見ていたんだ。
年が明け、今年親父は「十三回忌」を迎える。
2010年1月9日
喉の具合がよくないので総合病院の「耳鼻科」に行った。
そこの女医さんには本当に驚かされた。
とにかく荒っぽい。ずっと以前に他の病院で
「蓄膿症」の手術を受けた経験があって、その時の
扱いも酷かったから予想はしていたがそれ以上だった。
診察に後に収まらない怒りをぶつけようとしたが
二度と行かなければいいんだ。と何も言わずに帰った。
こういう経験をした後に自分自身を振り返ると
お店が立て込んでいる時に何か失礼はないか?
金額の大小の違いで接客態度は変わってないか?
24時間受付の特に夜中の葬儀の受付の際
御悔みの言葉の「心と誠意」は伝わっているだろうか?
など。次から次へと課題は浮き彫りになってくる。
欠点を指摘してくれるお客様ならありがたい。
「文句は言わずに二度とあの店には行かない」
病院も商売もこの「抗議」をされたらアウト。
我が振りを直す貴重な経験をさせて頂いた。
2010年2月6日
私の友人はたった一人の娘さんの結婚が決まったのに
とても元気がない。訳を聞いてみて納得した。
昔友人の奥さんはその友人と結婚する為に一人っ子にも
関わらず駆け落ちまでしたという。今度は自分の娘が
駆け落ちまではなくても嫁いで行く。あの時の義父母の
気持ちが今になって解ったと淋しそうに笑った。
私にも娘がいるから何となくだけど気持ちが解る。
ずっと前にこんな話を聞いた事がある。
兄が娘二人を残したまま病死し弟が所謂「逆縁」で
兄嫁とその後結婚をし新たに娘二人が生まれた。
歳月は流れやがてその娘達も年頃になり、亡兄の長女は
早くに嫁ぎ弟の娘にも恋人が出来たが「兄の次女」を先に
嫁がせねばと働いて働いて金を貯め兄の次女を嫁に出し
自分の娘は恋人を待たせてでも二年遅らせて嫁に出した。
親としての責任。亡兄の分の責任。二つの「責任」を「順番」
を守って果たした弟。私はこの話を聞いて胸が熱くなった。
私は「弟」のような立派な「人」にも「親」にもなれない。
2010年3月6日
















